15. 飛び級して石川高等学校に入学
(1) 石川高等学校入学
さて、石川で嘘をついてここまで来たが(6年生)、高等学校の入学試験が迫ってきた。私の受験は来年である。呑気に構えていたら母が「あなたは年が受験該当者だから受験しなさい」と言う。(母はその頃小学校教員になって同じ学校にいた)私は7年生の過程は全然知らないので受験はしないと強行に反対した。ところが、母も強硬であった。毎日大喧嘩である。H先生が「兎に角勉強する事だよ。まず受験してみたら?」と優しく言ってくれたのでその気になり受験する事にした。内心は落ちて元々と。
それから放課後は課外授業、(T先生、H先生、S先生)夜はH先生やS先生宅で泊り込みで教えてもらった。何しろ分数の足し算も解らない者に教えるのであるから、先生方も大変苦労した事と思う。H先生は慌てて受験願書を書いて提出したようだ。
一方私は6年生からは受験資格が無いとのことで7年生に飛び級させられたが、7年生の授業が解らない。困ったが兎に角受験にこぎつけた。
当時石川市は避難民が多く、人口が急激に増えていたので、石川高等学校に合格するのは並大抵ではなかった。受験生はグループで受験の前日から石川市内に家を借り、泊まり込みで一生懸命勉強をしていたが、私だけはグーグー寝込んでいた。その時になって母は受験させた事を後悔したようである。
試験が終わって会場から出てくると、皆はあれはどう書いた、これはこう書いたと、問題を言い合っている。こちらはそんな問題はとっくに忘れて、皆のことを「へえー問題までも覚えているんだ」と不思議がるやら感心していた。
合格発表の日もどうせ駄目だと思っているので当然見に行かない。
荷馬車の上で小さい子どもたちと遊んでいたら、Y先生が「實さん合格しているよ」と言われたが、まさかと思って取り合わなかったら、「見事に合格だよ」と繰り返し話してくれたのでそうかなと思った。Y先生、私の態度を見てどう思っただろう。今もって後悔している。
しかし私の場合は、見事と言うより運悪く合格したようなものであった。でも、H先生や其の他の先生方の教えは見事だった。山をかけた所も全て的中した。その頃は有難いとも何とも思わなかったが、今考えると先生方の才能や情熱、大変なものだったと感謝し頭の下がる思いがしている。運悪くという事は高校一年で的中することになるのだが・・・・。高校時代の事は別の機会に譲る。
16.夢にうなされる
私には終戦この方、決まった夢を見ることがある。子どもの時の夢は、自動小銃を持った米兵に追いかけられる夢である。追い付かれそうになると、鳥のように飛び上がり隣の山の頂上に降り立つのであるが、米兵もすぐに追い付く。こんな事を繰り返している内にハッと目を覚ます。結婚し四人の子どもが出来ると、同じように米兵に追いかけられているが、家内や四人の子どもを連れて逃げるのであるが、必ず誰かひとり足りないのである。其の一人を探し回っているが、なかなか見つからない。そんな時「ウンウン」唸っているらしく何回か家内に起こされた事がある。其の事は最近まで続いた。60年を過ぎても戦争当時の恐怖感が未だ残っているのだろうか。
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