① 疎開を決意する
私が5年生になる,泊小学校に入ったのが4年生ですね,それから5年生になったころに「疎開」という言葉が出たんです。疎開,その疎開とは何かというと,沖縄に戦争がやってくるから,米軍がやってくるから,そこが戦場になります。そうすると子どもとか,女,子ども,年寄りは戦争の邪魔になるから,これを内地のほうに送ろう。要するに,本土のほうに送るというわけだ。それを「疎開」と言ったんだね。その「疎開に行かんか?」って先生に言われたの。そうしたら私は疎開というのは,内地っていうことは知らないですね。やっぱり電車が通っているし,自動車がビュンビュン通っているし,行きたいわけ。汽車が通っているし。だから,うんと行きたいわけです,内地には。修学旅行以上には面白そうなんだな。
それで私は,「ああ,これは両親に話して,ぜひ行かんといかん」ということでね,父母に,「今日ね,学校でこんなことがあったんだけど,行かしてくれない?」と頼んだんです。そうしたら,しばらく考えていました,二人とも。考えていた。「どうしても行きたいの?」と,「行きたい」と。ということだったら,「じゃあね,妹を連れて行きなさい」。当時2年かな,2年生かだった妹がいましたから,「じゃあ,この妹と一緒に行きなさい」と。そして,もう一人,私より4歳年上のいとこの兄が,お兄さんがいたんだ。いとこの,親戚のお兄さんがいて,この人も行くという話があったんですね。そうすると私は彼に守ってもらえるんで,「うん,そんなら私,行きたい」と。ということで行くことになったんです。そして,申し込んだわけですね。
そして,うちではリュックサックにいろいろなものを詰めて,特に詰めたのは薬品,ケガの薬とか,それから,スルメとか,そういったものをリュックサックに入れて。それと,10メートルぐらいの縄ですけど,こんな小さくなった,これをこう結んで,これをこの腰に下げているんですよ。これは何かというと,いざというときに,船が沈んだときに,これを投げて友達を助けたり,あるいは自分が引っ張られたりするために,縄を,10メートルぐらいの,これを準備しましてね,待っていたんです。