戦中・戦後の子どものオーラルヒストリー
仲本實先生のオーラルヒストリー

その他の動画   (小学校と収容所)

食事 食事 食事

③ 当時の学校のようす

 そのころは,本当に驚きは何もない,何もない。そのうちにテントがポツリポツリと,あちこちに立つんですね。それから,ちょっとしたバラックみたいな校舎が建つんです。そして,教室と教室の間はススキを編んで,私は細く穴を開けて隣の教室をのぞいたりしたんですが,そんな学校。

 それから,習ったことは覚えていません。おそらく何を習ったんだろう。全然覚えていない。確かに体育はやったと思う。相撲を取らされたり,こういったことをやったような覚えがあります。こういうふうにして城前小学校へ行きました。

 ところが,その城前小学校もだんだん人が多くなりましてね,結局,分校することになるんです。そうしたら,あっち側の,石川の東側に住んでいる人たちは宮森小学校へ行きなさいと,新しく宮森小学校ができるんです。そして,そこで分校したら,私は向こうでしたので,その宮森小学校へ行くんですが,そうすると宮森小学校はますます悪い。そこも校舎がないし,最初のうちは。テントもないぐらいの青空教室。

 そのうちにテントがポツリポツリと出てくるわけです。机1個しかないんですよ。私の机,私はこんな机をつくったんです。これぐらいしている小さな机。座って字が書けるような,これぐらいの。これをつくって,それを持って学校へ行きますよ。そして,ノートはどうするんだというときに,このセメント袋。私,昨日,これをそろえたんですが,このセメント袋はですね,アメリカさんのセメント袋は5枚から成っていたんですよ。5枚から。今,見たら2枚になっている。2枚になっているけれども5枚だった。

 そうすると,ここのほうは汚いし,それから字が書かれているのは捨てろというんです。それから奥のほうはセメントがくっついているのは汚い,だから捨てるわけです。そして,なかの3枚。なかに3枚入っている。そのなかの3枚はわりときれいです,今,見ても。きれいですね。そのなかの3枚を四角に切りまして,こんなふうに切って,ここを綴ってノートにする。ノートにするとかね。それから鉛筆は,こんな小さいのは,ちり捨て場から拾ってきた。こんな小さいのを拾ってきて,これを竹に差し込んで,そして書くわけです。

 机は持っていくわ,ノートはセメント袋,それから鉛筆はこんな小さいのでした。ところが,そのころからますます私は石川の村を抜け出す方法がわかるんですね。ますます抜け出して,ちり捨て場へ行くわけです。ちり捨て場へ行ったら,こういった紙があちこちに散らばっているんですよ。ノートじゃなく紙が。それを集めてくるわけです。