戦中・戦後の子どものオーラルヒストリー
仲本實先生のオーラルヒストリー

2.子どもの仕事

子守

 こういう風に、(写真を)見ると、ほとんどの子がこどもを連れているんですね。こどもをおんぶしている。要するに子守ですね。女の子が多かったようですね。
    (左写真 沖縄県公文書館より 【子守する少年】)

 あと、こんな風に薪を集めたりね。色々な仕事をしていました。これ(写真を)見てみますとね、女の子はそれぞれ体(の大きさ)に応じて、仕事をしていますよね。

 こどもたちも自分の家(ウチ)と言うものを非常に意識していて、よく(親などの)言うことを聞いたんですよ。こういう風に、子守りをしたり、薪を拾ってきたりなんかしておったんですね。
    (右写真 沖縄県公文書館より 【水汲みをする少年】)


子守
 あと、私たちは「特攻隊」と言っていたのですが。私たちの仕事の中に、トイレを片付ける仕事があったんです。当時は、ドラム缶を私たちの集落の中では4本か5本くらいを埋めて、その上に板を置いてトイレにしていました。

 ところがこれは、貯まるのが案外早いんですね。雨も降りますから、そのまま雨(水)も入りますしね。これを片付けるのがこどもの仕事でした。毎日同じ人がやるのではなくて、交替で、当番制でやっていました。私たちはそれを「特攻」と呼んでいました。「特攻隊」。なぜかと言いますとね、最初は臭いからタオルか何かで鼻を覆って担いでいく訳です。そうすると、その辺にいる人が「臭い」といって逃げていくわけですね。するとちょうど我々が特攻隊に行くような感じがしたものですから。これを「特攻」といったんですね。

 それを村はずれ。「タードーシ」といって、田んぼの中に、田んぼの土をあげて畑をしているところがあるんだが。この「タードーシ」に穴が掘ってあって、(その穴に)一から十からから全部これを担いできて、それをこぼしおったんですが。この特攻の仕事は本当にいやいやながらにやっていましたんです。

 このように、(当時のこどもの)大きな仕事といえば、薪集めだとか、トイレ運びだとかを、こどもたちはよくやっていました。それと、この子守ですね。男の子も女の子も、子守り(の仕事をしている子)は必ずいました。

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