1.戦前の子どもの遊び
空気銃を持って、おやじと一緒に小鳥を撃ちに行ったり。そんなのが、いま思い出されますが。それから、学校をのぞいたり。
それから(教員だった)母が、幼稚園の子どもを教えてるところを、まあ、幼稚園というよりは保育園でしょうね。
その保育園の子どもと、お遊戯をしてるのを見ておったりとか。
まあ、一番面白いのは、どっちかというと、うーん、結局ね、そこの稲嶺(いなみね)駅から東風平(こちんだ)駅までのバスが1台しかなかったんですね。
そうすると1台ということは、その運ちゃん(運行中のバスの運転手)は全部うちのおやじさんなんだよね。それで、よく途中で待ち受けて、手を挙げて乗るんですよ。
そして一日中、要するにドライブと、しゃれこんでおったんです。
それから、当時からですね、よくサツマイモを炊いたですね。まあ、幼稚園(生)くらいです。
まだ小学校へ上がる時分から、私たちのころでは、薪を集めてきて、それでサツマイモを炊いて、食事にするという。
まあ、その辺は手伝っておったということなんでしょう。まあ、そんなことで、わりと幸せに、暮らしとったんじゃないかなと。
どうしたのかね、学校へ行くのも嫌いなんですよ。そのころ。で、1年生から2年生の初めにかけてですけれども。学校へ行かないで、いまで言う山学校。要するに学校をサボるわけです。サボったらどうするかというと、私のうちの前に、あの、焼き釜があった。壷屋の。壷屋のが、焼き釜があってですね、そこに、サツマイモを持っていって焼いて食べたりなんかして。それから、冬はあったかいんですね、そこは。うんとあったかいから、まあそこで暮らしたり。
それから、あの、ほかの同級生が帰ってくるころになると、いまのね、あの桜坂の、あの墓地地帯がありますね。そこへ行くんですよ。
そこへ行ってね、そこにあのマッコウーという、つぶすとね、紫色のあの、あれ(汁)が出るのがあります。これを顔に塗ったりしてね。
要するに、南洋の原住民だということでね。
それから、墓地がありますんで、デレ~ン(ヒーロー登場のポーズ)とこうやりますとね、飛び降りると見えなくなるわけでしょう。
そうすると猿飛佐助だ。まあ、そんな遊び方とかね。
えー、それから木登りとか。木登りはよくやりましたね。で、たまには折れて落ちたりしましたけれども。
で、うち帰るときはこう、ちゃんと(紫のメイクは)落としていくんですが、叔父は帰ってきて、「あ、この野郎、今日は(学校に)行かなかったな。」っていうのが分かるわけ。そして、「今日(学校に)行かなかったでしょう!」ということで、また怒られて、「よし、手出せ」といって、またやられたりしたんですが。
まあ、そんなことを繰り返しながら、小学校1年生と2年の最初のころは、あの、(遊びを)やってました。