② 気が変わる
そうしたらね,今もいじめがあると思いますが,その当時,私はあちこちへ転校して歩いてるでしょ,だから,ここへ来てあんまり間もないわけですよね。友達はいるけれども,それでもやっぱりいじめに遭うんですよ。
そのころから学校はもう兵隊さんが使って,学校には行けない。学校で授業していなかった。私がおったところは,前島というところでしたけれども,那覇のね,那覇の前島,その前島に事務所がありまして,そのへんで授業をしたり集まったり,あるいは木陰で先生の話を聞いたりしていた。その帰りにいじめがあったんです。
私からすると,一人一人は全部勝てると。ケンカして,全部勝てると思っているんですが,一人だけボスがいたんですよ。このボスは,要するに,そのなかで一番ケンカが強いんだけれども,さらに,この上には兄さんがおって,青年がおったの。そうすると,この子とケンカをすると,必ずお兄さんが出てきてバシャーッとやるんです。ですから,みんなビクビクして,この人に手を出す人がいなかった。
この人が4名ぐらいの友達を連れてきた。そうして僕をいじめたんです。普通だったら泣いて,私の家のそばに安里川という川が流れておった。普通だったら,そこで顔を洗うんですよ。顔を洗って泣かなかったふりして行くわけですよ,家には。ところが,その日に限って泣きながら,この人たちと疎開したら,いつも向こうでいじめられるんじゃないかな,つい変な感じが,これがね,それを感じたんです。
それで家に帰って,お父さんお母さんには,「いや,もう僕,行かん。絶対行かん。この人たちが行くから行かん」ということで,要するに駄々をこねたわけ。そのときに両親はどうしたかというと,私,長男坊ですから,うんとかわいがられておとなしいんですよ,性格がね。親の言うこともよく聞くんです。自分で言ったら変だけど。
ところが,その日に限って私が駄々をこねた。そうすると,両親は考えたんです。こんななかだから,何となく行かせたくなくなったんですね。そして,こういったところで,もし沖縄に戦争が来ても,死ぬんだったら一緒に,家族一緒がいいだろうと。だから,「じゃあ,行くな」ということになったんです。
そして,妹と二人,行かないということになったんですがね。ところが,その親戚のお兄さんがいますよね,4歳年上のお兄さんが。この人も,「じゃあ,この人も行かんほうがいいな」と言って,うちの父親が向こうに行って,「兄貴のところも行くな,危ないから行くな」と言ったんですが,あの人もやっぱり修学旅行みたいにして喜んでいるから,本土に行くというのはね。「いや,僕は絶対に行く」ということで全く聞かなかったらしいんです。そして,彼は行ったんですよ。行った。
そして,私は「行かない」と言ってすぐ,今度はまた山田小学校,当時は国民学校ですね,山田国民学校に転校した。転校したら,そこで対馬丸が沈んだというお話を聞いたんですね。ところが,そのころは対馬丸だとはわからない。とにかく疎開をしている子どもたちが乗っている船が沈んだということで。
浜辺を歩きますとね,油の付いた衣類だとか,こんなのが寄ってきていました。